7年目は鮮明に記憶が蘇る
こんばんは。よっしーです。
3月11日。でした。
今年でもう7年になるのか。。。
なぜだか、今年はやけにあの日のことが鮮明に思い出されて、ちょっと辛かった。
いまは都内に住んでいますが、当時は仙台市民だったんです。
たまたま私の地元である仙台に転勤になった、というだけだったんですけどね。
あの日のさまざまな恐怖は、本当に忘れられません。
いつまでも続く揺れの恐怖。
地震後、はじめて耳にしたラジオからの「荒浜に200人以上の遺体が…」というコメント。
海にほど近い職場にいた夫が無事かどうかという不安。
ライフラインが完全に断たれ、あまりの被害に先が見えなくなったこと。
絶え間なく鳴る緊急地震速報の警報音。
消すことができなかったラジオ。
被害の状況が分かってくると、あまりにも多くの人が亡くなったということに震えました。
特に、お子さんを亡くされたというニュースは、同じ親として、本当に心が痛かった。。。
もしもムスメが亡くなったらと考えると、、、それはもう、あまりにも辛い。
でも私が想像しているその瞬間にも、現実としてその悲しみと対峙している人がいる。。。そう思うと、涙があふれて止まりませんでした。
でも、きっと今だって悲しい思いは消えてないんですよね。
みんな上手に折り合いつけられるようになっただけ。と思います。
私はクリスチャンではないけれど、神さまに、傷ついたたくさんの人たちの心が、少しずつでも癒されますように、、と祈らずにはいられません。特にこの日は。
ところで当時は仙台の私の実家の近くに住んでいたのですが。
地震のあった日、夜実家へ向かうと、母がすでにカセットコンロで煮込みうどんをつくっていました。さすが。母強し。
しかしあの状況の中、陽が落ちて暗くなると料理しにくくなるからねーと、冷静にごはんを作ってくれていた母。経験値の違いを感じました。
あの日のあたたかい食事は、本当に贅沢だったなぁと思います。
そしていまも思うのは、実家の災害対応力の高さ。
鍋のかけられる灯油ストーブもあるし、七輪もあるし、庭に畑もあるし乾物は豊富だし冷凍庫にも食材がたくさん。粉もお米もたくさん。
私の無水鍋をオーブン風に使ったりして、最終的には七輪でパンを焼きました。
地方の一軒家だから、というのもあるだろうけど、やっぱり強いな(笑)
でも、いざというときに使える道具があるって大事。
私の山ごはん道具も、いざというときに役立ってくれるはず。
そんなことを思いつつ、今日のお昼は家でクッカーとシングルバーナーを使ってラーメンにしました。
ま、山に行けないーっていう気持ちの発散も兼ねてましたけどね(笑)。
ラーメンを啜りながら、ライフラインが止まっても生き抜くことができるのか?ということを、いま一度考えておくべきだと実感しました。
それでは、平穏な一日に感謝しながら、おやすみなさい。